日本財団 図書館


 

かった家がぐじゃぐじゃになっています。
あの午前5時46分、母は1階の自室で寝ており、弟や、甥、姪はそれぞれの2階の部屋弟の妻は朝食の支度のため階下へ行った時、地震が起き、気が付くと、弟は壁土の中に埋もれていたそうです。子供達の声で自分達の位置を知って、夢中で自力で埋もれたがれきの中から出たそうです。子供達の2階の部屋、は1階の感じになり、義妹は大きなはりの下敷き、「どこにいるねん」と聞くと「冷蔵庫のそば」と言ったそうで、弟は闇の中を裸足で一生懸命物を退けたそうです。子供達が近所の人を呼び、大工さんがシャベルカーを持ってきてむね木を切ったり退けたりしてくれたそうですが、握っていた手が段々冷たくなっていって、ようやく助け出し医者に連れていきましたが、だめだったとのこと、母は始めから声がなく即死だった様子。私が実家に着いたのは、19日の夕方で、遺体は小学校の教室の床に柩に入れられて他の遺体と一緒に並べられていました。柩のそばにいた人が他の県の親類を頼って火葬に持って行くと話していました。自宅へ電話し、区役所に相談してくれるように息子に頼みましたが、他府県の死体は火葬にできないと言われたそうです。大阪市も死者が出てどの火葬場もいっぱいだったそうです。 私達の西淀川区も、全半壊約千世帯、他に 一部損壊も多数出て大きな被害を受けました。道路の亀裂、液状化で多数の砂が吹き出る等、1年半経った今もあちこちで道路工事が行わ れています。
地震で亡くなった人達の2回目のお盆がきます。皆様方のご冥福をお祈りします。合掌
あれから1年半以上経ちました。身内を亡くして動転していたので思い出せないことが多く、変な文章になりましたがお許し下さい。

 

阪神・淡路大震災に思うこと

 

迎 田 綾 子
(大阪市生野区)

 

114-1.gif

平成7年1月17日午前5時46分、目覚め前のひとときを心地よい眠りに誘われて、うとうとしていた時、突然「ゴー」という物凄い地鳴りと共に突き上げるような震動に続いての大きな横揺れに慌てて飛び起きようとしたが、揺れが激しくて起き上がれない。主人から「起きたら危ない。布団を被って、鎮まるまで待て。」と声を掛けられて我に返ったものの、土蔵の屋根瓦が崩れ落ちる音や、石灯籠が倒壊する音など、全く生きた心地がしなかった。しかもこの間非常に長く感じられ、家が倒れるのではないかと大きな不安に陥った。
別部屋で寝ていた母のことが心配になり、声を掛けたところ、実に平静で素く身支度を整え厨房に行き、飲料水や予備水の確保等、私には思いもつかなかった災害時の最も基本的なことを手際よく進めており、さすがに戦時下の空襲をくぐり抜けて生きてきた人だと只々感心させられた。
どんなに大きな地震かと不安な気持ちでテレビのスイッチを入れてみると、震源地は神

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION